1997年(平成9年)12月20日
12時35分、成田空港第1ターミナル4階B〜Cカウンター前に集合。 ルフトハンザ ドイツ航空LH715便(14時35分発)にて、出国。12時間弱のフライトでフランクフルトに到着(現地時間18時45分)し、同航空LH3422に乗り継ぎアテネに向かった。乗客数が少なかったのが此れ幸いで、空いている窓辺の席に移動し、座席3席使って横になり寝ることが出来た。機内では機内食2回にビール、ワイン飲み放題。味については、ノーコメント。フランクフルトでの乗り継ぎに最初のトラブルがあった。どういう訳か、我々が搭乗することになっているLH3422便の席がキャンセルされていたのである。添乗員の斎藤さんや、現地でアシストしていた女性の添乗員、日本の旅行代理店等と連絡をとりながら、なんとかLH3422便に乗ることが出来た。このフランクフルトの空港で何時間だったかなぁ?乗り継ぎのための待ち時間が凄く長かった。ロビーの椅子で十分一眠りしました。 12月21日 アテネ市内観光。 21時35分発のオリンピック航空で、クレタ島のイラクリオンへ向かう予定であったが、ここでも席がキャンセルされていた。結局遅れてイラクリオンには行くことが出来た。空港で、念のために明日のフライトを確認したところ、クレタ島→ロードス島(直行便)もキャンセルされていた。 12月22日 バスでミノア文明の中心地だったクノッソス宮殿へ行った。 17時50分発のオリンピック航空OA873便で、ロードス島に行く予定が、我々が搭乗する予定だった飛行機が予約をキャンセルされていた為席がとれず、我々は15時40分発のギリシャ航空で先ずアテネに戻り(所用時間約20分)、同航空の17時20分発の航空機に乗り換えロードス島に飛んだ(所用時間約1時間)。ここでも、乗り換え手続きの連絡が伝わっていないらしく手間どった。深夜は、雷雨となった。 12月23日 午前中にロードス市内を観光。(騎士の館、マンドラキ港)。 午後は、リンドスの遺跡を観光。移動はバス。ロードス泊。 12月24日 約1日自由時間で街を散策した。 ここ(右の写真)のテラスで休んでいると、シスターが小物を売りに来た。彼女は言葉が通じないことを予め心得ているのか、小物を差し出して値段を言うだけだった。われわれはその値段も理解出来ない。近くに座っていた人が、その様子を見兼ねたのか、通訳をしてくれ始めた。我々はなんとも言えぬほのぼのとした良い雰囲気の時間を過ごした。 18時発のオリンピック航空OA705便(18時発)、アテネ経由(18時40分アテネ着、20時20分アテネ発)で北ギリシャの中心地テッサロニキへ行った。テッサロニキはギリシャで2番目の都市。港町らしく日本の知っている都市は東京、神戸だそうだ。わたしは岡山を宣伝した。だからあの人には東京、神戸、岡山となったわけ。
12月25日 午前中、テッサロニキ観光(ガレリウスの凱旋門、アギオス・ディミトリオス教会←教会の名前は自信有りません)。町中を歩いてみて、落書きが多く目にとまりました。 午後、アレキサンダー大王の生地ペラへ。 夕方、テッサロニキに戻り、われわれは海岸沿いのニキス通りにあるカフェテラスで、カプチーノを飲みながら、日没を待った。そしてエーゲ海に沈む夕日を撮影。一番のタイミングは外してしまったが、海の向こうに沈んでいく夕日が綺麗だった。 12月26日 朝、テッサロニキを出発する前に、われわれは駅に行った。トヨタ車を運転する現地のおじさんに声をかけられたが、英語が通じなかった。おまえたちはドイツ語ができるか?と逆に彼に尋ねられてしまった。結局わたしはドイツ語をしゃべれないので彼と会話出来なかった。こんなことなら大学の時にもっと勉強しておけば良かった。残念。 午前9時、バスでテッサロニキを発つ。われわれはオリンポス山麓のディオン(ローマ遺跡)に立ち寄り、夕方カランバカに到着。今日は一日バスの中。カランバカに到着後、われわれはツアーの人々と一緒に歩いてメテオラ方面に歩いていると、空車の観光バスが通りがかり、そのバスの運転手の厚意で奇岩のふもとの街まで乗せてくれた。小さな力のなさそうな教会を見学。帰りは、タクシーでホテルまで帰った。 途中、休憩に寄ったドライブインで、わたしはユーゴスラビアの女性に声をかけられた。彼女は日本語を習い始めて1年目だそうだ。彼女はわたしに日本語が通じる事が嬉しそうだった。 12月27日 午前、8時45分、バスでホテルを出発し奇妙な岩々の間を縫って山を上り、メテオラへ。午前中、修道院の観光。 大メテオラ修道院(9:10)→バルラム修道院(10:40) →ルサノ修道院(11:35) 昼食(カランバカのレストラン“エジニオン”にて-12:25-)のその後は、しばらく街でフリータイム。 午後の観光、聖トリアダ修道院(15:20)→聖ステファノ修道院(15:40) →17時過ぎ、ホテル帰着。 12月28日 朝7時35分、バスでカランバカを出発。途中、パルナッソス山脈の山々を眺めるラニアで、休憩。アポロの聖域デルフィ(午後1時頃着)へ行った。着後はデルフィ観光。デルフィは、スキー場に近いらしくスキーウェアを着ている人がいた。路上駐車が多く道が狭い山間の街である。夜、ホテルのバーで飲んでいたら、われわれはオランダからディベートの大会に参加するためギリシャに来ていると言う青年2人組と一緒になり、彼等と話をした。 ヤス....一人称の『さようなら』 ヤサス....『さようなら』、『乾杯』 ↑ なのだそうだ。 メールアドレスを教えたのに、未だに何も連絡が無い。 12月29日 午前8時、バスでデルフィ発。峠を超えて港に向かう。途中海峡をフェリーで渡り、オリンピア(午後1時頃着)へ。オリンピア遺跡・オリンピックスタジアム等観光。オリンピア泊。 12月30日 午前8時、ホテルを出発。われわれはバスでミストラへ移動する。ミストラでは岩山に残された中世の都市遺跡を観光した。 その後は、スパルタを経由し、海辺のリゾート地ナフプリオンへ向かい、市庁舎広場の前で30分フリータイム。ホテルに着くと丁度夕焼けになっていた。バスがホテルに着くや否や、皆はホテルにチェックインをする為、ロビーへ向かっていたが、われわれ二人は外で夕焼けが無くなる迄柵にしがみついて写真を撮っていた。凄く綺麗な夕焼けだったが、この日が海辺のホテルなら良かっただろうな。ナフプリオン泊。 12月31日 午前8時バスでホテル発。ミケーネの遺跡、コリントス運河、コリントスの遺跡、を訪れアテネに向かう。夜は、正装した若者達がホテルのロビーに集まっていた。聞くと街に繰り出しパーティーだそうだ。負けじと、夜の街に散歩にでた。深夜、0時、風呂に入っていると、外で『バン!』『バン!』と音がする。わたしはバスタブの中でテロが起きたと思った。ヤバいと思い、どうしようと考えているうちに『ブラボー!!』と叫ぶ声が聞こえて来た。わたしは咄嗟に風呂から上がり部屋の窓に走った。それは、花火の音だった。パルテノン神殿と、リカピドゥスの丘の上に花火が咲いていた。除夜の鐘は聞こえないが、賑やかである。 1月1日 終日、エーゲ海クルーズ。 好天に恵まれ、海と空は青く、建物は白い。ポスターの世界。(でも、本当はポスターの世界は、サントリーニ島。...行きたい!) あちらの海の上で、MKさん(活発な女性)と意気投合。すごくストレートな人でした。 1月2日 午前4時10分、ホテル発、マイクロバスにてアテネ空港に行く。 旅の始まりの頃、クノッソス宮殿で、倒れて腕を骨折をして、アテネ市内の病院に入院していたSさんも、一緒に帰国することとなった。 午前6時10分、ルフトハンザLH3433便にてアテネ発。乗り継ぎのフランクフルトへは8時15分着。(時差1時間)BターミナルからAターミナルまで荷物を転がしながら移動し(フランクフルト空港はデカイ!)13:30頃のLH710便で、フランクフルトを発ち成田に向かう。朝8時半、成田空港に着き(時差8時間)、荷物を受け取った後、解散。 同行して下さった添乗員の斎藤さん、旅行が縁で巡り会った方々、本当にありがとうございました。 |