1998.12.24
19時12分岡山駅発の新幹線に乗り、いよいよ旅の始まり。大阪から初めて『はるか』に乗った。チケットを取っていた『はるか』よりも一本早いのに乗り込んだ。車内は空いていたので、指定席だったが適当に座った。どういう話から発展したか覚えていないが、近くに座っていた人とチケットの話になり、言われるままに岡山駅で買ったチケットが関西空港までになっていることについて、近くに座っていた人から一駅分多く買っているし、『はるか』の料金も違うという話になった。一駅分多く空港まで買ったのは駅で尋ねると《りんくうタウン》で、下車できないので空港まで買って下さいと言われたからだ。しかも、料金が違うというのには驚いた。で、その見知らぬ人に《日根野》で下車し、普通列車に乗れば、わざわざ空港まで行くことはないと教えてもらった。なんたることか!で、教えてもらったように乗換をして《りんくうタウン》で下車し、ことの成り行きを精算窓口で説明した。ここでは始めに売ったチケットが間違っているといわれ、あっさり差額(缶ジュース2本強)を返してくれた。なんだよ、一体!?ホテルに着いたのは21時半。この日の夕食はローソンで弁当。駅に隣接する全日空ゲートタワーホテル大阪泊。
12.25 朝6時5分のシャトルバスに乗り空港へ。所要時間は10分。早朝の空港は閑散としていて不思議な気分。7時30分出国。9時15分に全日空NH1957便(チャーター便)で、フライト開始。約6時間のフライトで時差が3時間、カトマンドゥ・トリブヴァン国際空港に現地時間12時に到着。カトマンドゥが盆地になっていることで、このトリブヴァン国際空港も着陸の難しさでは指折りなので、着陸態勢に入ってからは緊張。空港内は国際空港と言っても簡素。空港内に設置されていたビザの申請用紙に必要事項を記入し、予め用意しておいた写真を添えて入国審査へ。2〜3の質問をクリアし晴れてネパールに入国。空港の建物を出たところで案内役を頼んでおいた人に合流。初日の今日は撮影の予定を入れていなかったが、案内役の人の勧めで、パシュパティナートへ行く。ここは火葬場だそうだ。ガンジス川の源流。聖なる川なのである。この寺にミルクババジと呼ばれる聖人がいた。もう19年間にわたりミルクだけで生活している。業の一種だそうだ。で、カメラを向けて写真を何枚か撮っていると、どういうわけか彼の部屋の中に招かれた。その上、修業で飲んでいるミルクをご馳走してくれた。で、楽器の名前を忘れてしまったが、楽器を奏でてくれた。(右の写真)これにはびっくり。案内人も『ミルクババジには会うことさえなかなか無いのに、部屋の中に入れてくれるとは驚いた』と言っていた。無論案内人も案内していて招き入れられたのは初めてのことだそうだ。何が気に入ってもらえたのか?ホテルに帰ってから、現地案内人に日本で立てた予定表を渡した。時間的に余裕のありそうな日は何処か撮影地を入れてもらい、時間的に苦しい日は出発時間を早めてもらったり、撮影地を他に勧めてもらったりという具合に検討して初日は解散。
12.26 8時半にホテルを出発する予定だったが、借りたワゴン車の後ドアが閉まらずに遅れてしまった。この借りた車は実にオンボロだった。エンジンは排気口から黒鉛を吹いているし、おまけにそれが車内に入ってくる始末。案内人の勧めがあって、撮影のため向かった目的地は先ずダチンガリ。車で約3時間かかったが、山道で渋滞があったからで本当はもっと早く着いたかもしれないし、もっとかかったかも知れない。とにかく狭い山道なのに大型車が通る。案内人曰く、大型車次第で所要時間が変わるので予定を立てにくいらしい。毎週土曜日はお祭りがあるらしい。ウサギ、鶏、ヤギ(?)など、小動物を生贄として捧げる祭で、首を落とす瞬間は見ていて震えた。あたりは血なまぐさい。インパクトがある光景が目の前に広がる。1時間強そこを見て回った。あまり日本人は多くなかったように思える。その後はキルティプルに向けて移動をするが、途中、ファルピンという小さな街に立ち寄った。途中セスラナムという場所でホテルから持ってきた弁当を食べ、キルティプルに着いたのは午後2時。1時間45分ここに時間をさいて撮影。夕方、ブンガマチにも立ち寄りホテルに帰ると午後7時。ホテルの1階のレストランで軽く夕食をとった後、ホテルの周りを散策。ホテルの夕食が口に合わなかったので、近くのアンナプルナレストランという小さな店に入った。日本人はいない。店の人が我々は3人だったが奥の部屋に案内してくれて、片言の日本語で面白く語りかけてくる。何処で日本語を覚えたのか尋ねると、客を相手に聴き取りで覚えたという。聴き取りで会話できるまでなるの、かと思うと感心した。ホテルの部屋に帰り、午後、10時半、シャワーを浴びようとするとお湯が出ない。水になっていた。夜遅くは湯が出ないらしい。浴室にはバスタブは無くシャワーのみ。
12.27 7:30起床。先ず、ホテルの厨房へ行き熱湯をポットの入れてもらった。ガイドブックによるとぬるま湯を出すことがあるので注意する様書かれてあったので、のこのこ厨房の中に入って熱湯を指差して入れてもらった。日本から持ち込んだインスタントコーヒーを飲むため。旅行中はインスタントでも重宝する。8時半、ホテルを出発し車で約30分のブラノティミへ。正午まで3時間ここで撮影。昼食はバネパに移動する途中、道沿いの小高くなった丘の上で食べた。ドライバーの推薦するところだったが、そこらじゅうに糞が落ちていて、食事には向かないとこだった。かといって、景色が綺麗でも無い。なにか感覚の差を感じた。おまけに食事中、妙な人が近付いてきて気持ち悪かった。早めに食事を切り上げバネパへ向かった。13時15分バネパ着。2時間程ここで撮ったあと、車で5分のパノティへ移動し、18時までそこで粘った。19時ホテル着。ホテルに着く直前、辺り一帯が暗い。案内人に問うと、毎週日曜日の18時半から一時間は停電するらしい。ここでも、省エネかなと思ったが、真相は分からなかった。しかし、毎週のことらしい。そんな中、案内人にお勧めの店に連れていってもらい夕食を採った。momo(水牛の肉を使ったぎょうざ)が凄くうまかった。このmomo、場所によって餃子の形をしていたり、シューマイの形をしていたりする。これが、結構美味しい。
夕食を採った店で頼んだチュッパチャップス(右)という揚げそば、結局これがこの旅行中食べた食事の中で一番美味しいと思った。おすすめです。
12.28 8:15サンクーに向けてホテルを出発。途中、マル(maru)で朝市があると言うので寄ってみた。この朝市、かなりの煩雑で活気がある。カメラを向けても動じない。今日のこの場所に限ったわけではない。大体がカメラを向けると逆にポーズをとったりする。文化の違いと人間性かな?朝市の様子を見るだけのつもりが40分、長居をして再出発。途中燃料補給にスタンドに寄る。ガソリンは1リットルあたり日本円にして約80円。聞いてみると軽油は1リットル当たり現地通貨で16.5ルピー。10:30ダチに到着。昼食を採るのを後回しにし、午後2時まで写真をとっていた。その後、昼食の場所を探しながら移動し、野原にシートを広げピクニック気分での昼食。サンクーには午後2時45分に到着。切手を3枚購入した。サンクーを後にしたのは午後4時半前。今日は同行のリーダー格でもあるN氏が前回世話になったイザヤさん宅を訪問、しばし団欒。午後9時40分、ホテル着。エアーメイルを書いてみたが、相手に届いただろうか? 12.29 8:15、ホテル発、一時間強で、9時半カカニに到着。11時半まで撮る。その後車で1時間のラニポウアに移動しここで昼食。ここで変骨だが面白いおばさんの店で水牛のミルクを飲むことになった。見ていると一応グツグツと日を炊いて沸騰させているので飲んでも大丈夫だろう、でも、不安。午後4時まで村?の中を歩いて撮った。ラニポウアからの帰り、地名は分からないが道端に籠を担いで帰宅している少女を発見。車を横付けしてもらい、降りて写真を撮らしてもらった。まだ、5〜6歳の子供。見知らぬ異国人がいきなり車を横付けしカメラを向けて迫って来たら驚くのは当然だと思う。終止警戒した眼差しだった。今日は5時40分にホテルに帰って来た。早く帰って来たので市内散策と王宮へ行った。市内では免税店よりも安くたばこが売られている店があったのには驚いた。今日は偶然にも王様の誕生日、と言うことで王宮では明かりがともされ人も多く賑やかだった。。午後8時、今日は今回の案内役をしてくれているサンジャヤさんの自宅を訪問した。夕食を御馳走してもらった。御飯が出て来た。こちらの人たちは素手で見事にカレーを手ですくって食べる。見よう見まねで私も試みてみた、がうまく食べられないし時間がかかる。結局スプーンを借りてすくって食べた。2時間お邪魔してホテルまで送ってもらった。 12.30 8時10分、ダマンに向けてホテルを出発。カトマンドゥ市内を西に走り抜け、外輪山をひたすら南に向かって走る。市内を出る場所にはゲートがあり、検問をしている。この検問はカトマンドゥ市内に不正に流入してくる者を事前に防ぐ役目もあるとか。道路はかなりの上り坂、下り坂。走る車は年代物が多く当然立ち往生する車ありでノロノロ運転。ダマンに着いたのは11時半。まず、『エヴェレスト・パノラマ・リゾート』で昼食をとった。その名の通りヒマラヤ山脈を望む事ができるが遠望過ぎて写真には向かない。しかし、レストラン自体は洒落ていた。午後2時40分、ダマンを後にした。 12.31 5時15分、ナガルコットに向けてホテル発。車で1時間、辺りはまだ暗いが現地到着。今日は朝日を狙う為ここにやって来た。寒くて暗い中展望広場に歩いて、日の出を待つ。
が、しかし、山肌は太陽の陽に染まること無く夜が明けてしまった。ここは標高が高く、日の出の太陽はちょうど真横から登って来る。と、言う事は影が凄く長細いものとなるのが印象的でした。思わず自分の影を撮っていました。その後チャングナラヤン〜ピケルに移動。昼食後、バグダプール〜パタンに移動。パタンでは今回案内を勤めてくれるはずだった人が開いている日本語学校『パタン日本語学院』を見学し、生の日本語を学ぶ良い機会ですとばかりに質問攻めにあいました。貴重な経験をさせてもらいました。同行のリーダー格のNさんは、教壇に立って講議をしていました。 1.1 7時半にホテルを出発。今日は今回の旅の中で一番楽しみにしていたマウンテンフライトの日。フライト時刻までは空港の喫茶店で雑談をして過ごした。フライトはコスミック・エアーという会社でした。小さな会社なのでしょうか?霧の為、フライト時刻が大幅に遅れて心配しましたが、無事にマウンテンフライトを楽しむ事が出来ました。
大幅におくれると本当はヤバかったのです。この日の午後4時15分フライトの飛行機で帰国の帰路に発つ事になっているからです。やはり、最終日にはあまり予定を入れないのが鉄則だと実感した日でした。帰りはバンコク経由で予想よりも大きなバンコクの空港でトランジットで何時間か時間を潰した。プラスティック製の大きなトランジットカードを貰い空港内を歩いてみた。大きな空港で綺麗。 1.2 |