H18年 |
社会復帰当日 |
退院直後 |
午前10時半頃退院した。しばらくの間は自宅療養になる。弟夫婦の家からは近いが、駅やバス停が遠い。自力で通院するのは困難と考え退院後の通院はしないことにした。でも不安である。
病院を出て先ずホームセンターで風呂場で使うプラスティックの椅子(高さ40cm)と柄付きブラシを購入した。足先迄手が届かないのと立ったままが辛いのとで差し当たって必要なもの。それにテーブルセットと肘付き椅子を購入。テーブルに付属の簡易な椅子は玄関においた。くつを脱いだり履いたりするのに支えたり座ったりするのによい。物干竿は必要な長さが分からなかったので後日にまわした。そういえば退院直前に注文した浴槽の中に沈める低い台は一度来たが種類が違ったので退院後直接アパートに持ってきてもらうことになった。
退院を目前にリハビリを頑張り過ぎた。右膝がポキポキと鳴るようになってしまった。階段で負担をかけ過ぎたようだ。これは焦るあまり逆効果になった。外出前に湿布を貼った。アパートの契約金の支払いと契約書の受け取りで外出。用事が終わるとすぐ病院に戻り、膝が鳴るので弱気になり横になった。
外出許可を取りアパートの契約変更をした。
今月に入り週に1回の割合で外出し車の運転や家の換気をしてきた。しかし、退院となると独り立ちはまだ無理。やむなく弟夫婦の近くでレオパレスを借りた。実地見学せずに近いというだけで借りたのだが、後で道が細いことが分かり、急遽電話で物件の変更をお願いした。
転院後は毎週月曜日に整形の受診を受けてきていて、今日は退院後の方針を聞かれた。どうやらそろそろ退院しろということだなぁ。リハビリの保険受診打ち切りも近い。
外出許可をとり携帯電話をN902iSに機種変更して来た。デュアルネットワークサービスを申し込み前の携帯も使える状態にした。
外出した。弟に家迄行ってもらい、広い駐車場で車の運転をしてみた。アクセルくらいは踏む力がついたと思ったからだ。しかし、問題はブレーキ。アクセルより遥かに力が要る。ブレーキを強く踏み込めないので急ブレーキをかけられない。これからは自主的に車の運転を想定したリハビリもすることにしよう。依然として杖を手放すことは出来ずにいる。
転院するため弟に来てもらった。朝9時半に退院手続きをして病院を出た後、気になっていた相続税の振込を銀行で手続きした。転院先には午前11時迄に着くようにと言われていたので、寄り道したかったが銀行に寄るのが精一杯だった。転院先には午前11時前に着いた。急性期リハビリが終わり回復期リハビリに突入する。
運転免許更新手続きのため外出許可を申請。弟に運転免許試験センターへ連れて行ったもらった。両手に杖をついて歩く状態で果たして更新手続きが出来るかどうか一抹の不安があったが、電話の問い合わせもせず行ってみた。玄関を入るなり、『車椅子が必要でしょうか』と声をかけられた。実際に車を運転出来る状態でないが、運転免許の更新手続自体は可能なのだった。
午前5時1分頃、地震で結構揺れた。直後、看護師が病室の見回りに来た。『開口一番、ベットから落ちていませんか?』って。トイレから帰ったばかりで危うく転倒するところだったが、丁度ベットに横になったところだった。テレビを点けると、大分中部を震源とするマグニチュード6.1の地震で岡山市内は震度は4と報道されている。
ヨロヨロとだけれど、両手に杖をついて歩けるようになったのでリハビリの先生に付き添われ始めて外を少しだけ歩いた。院内のフラットな床と違い外の道は微妙な起伏に足を取られそうになり思わず両手の杖に力が入った。普段感じたこともなかったバランス感覚を大事だと思った。
看護師に連れられ歩行器で屋上に行ってみた。術後初めて立った状態でエレベーターに乗った訳だが、上昇する時の G に押し潰されそうな錯覚がした。それだけ足腰が弱り機能していないのである。思わず歩行器にしがみついて笑いが出た。依然として膝に力が入らないのだが、足の筋が張る痛みは以前に比べると和らいできている。
風邪を引いたような気がするので風邪薬をもらったが、インフルエンザの検査も受けさされた。院内で流行するとまずいよなぁ、と入院の身なので拒否出来ない。この検査鼻の奥に綿棒を突っ込み粘膜の状態を検査する。これが結構痛くて涙が出てきた。
シャワーを浴びた。浴槽に浸かる許可はまだ出ていないのでシャワーを浴びただけだが、何日もベッド上で清拭するだけに比べるとはるかに気持ちが良い。
リハビリでは歩行器で歩く訓練をした。距離的にはほんの少しだけれど、前進の実感。
土日の二日間リハビリが無いので自主リハビリに励んだ。ベッドサイドに腰をかけて足踏みしたり、ベッドの柵を握り締めて立ち上がって我慢してみたりと、痛みが激しくならない範囲で繰り返し行ってみた。尿のカテーテルがとれて頑張る意欲が湧いた。依然、足の指先が痺れたままだけど、この痺れは手術後執刀医から『足先の痺れが一番最後まで残る。悪ければその痺れは残り続ける。』と説明を受けている。
二回目の抜糸。残る1本を抜いた。これでシャワーを浴びることが出来るようになる。
挿入していた尿管カテーテルが抜けそうになり排尿出来なくなった。手術後もしばらくの間カテーテルを挿入したままにしておいたのは意味があって、術前膀胱が過度に膨らみ傷んでいると判断されたためである。丁度抜く時期を検討している時だったので、この際だから抜くことになった。しかし、不思議なものでカテーテルを約二週間くらい挿入していたら、いざ自力で排尿しようとするとその感覚がすぐに戻らないのである。しばらく経って感覚が戻ったが、その時の感動は大きい。また一つ前進した。看護師によると、これを境に表情が明るくなったと教えてもらった。
抜糸。椎間板ヘルニア摘出術後の縫合部の糸を病室のベットの上で抜いた。抜糸したのは3本の内2本。2回に分けて抜糸するらしい。
今日から車椅子でリハビリセンターまで移動。乗ることは出来るようになったがタイヤを動かそうと大きく腕を動かすと腰に響き自力で移動出来ない。そういえば腰に激痛が走っていたときは口を動かしても痛くて食事に苦労していた。リハビリセンターでは平行棒を掴んで歩行訓練。まだ、体重をほとんど腕で支えている状態で歩く真似をしたようなものである。それでも思うように足が出なかったので足運びを思い出させるには歩く真似も必要と思った。
コルセットが出来上がり受け取った。代金は受け取りの際に支払うが、主治医の診断書等を添付して請求すれば後から自分の口座に大部分が返ってくる。汚い話になるが、下痢をして肛門の周りの筋肉が鈍くなっているのかわかった。このところ便秘気味だったので分からなかったのである。先行き不安。
昨日までベッドを起こすだけで痛くて座位が出来なかったのに、今日は車椅子に座ることが出来た。担当看護師が『今日の目標はあなたを車椅子に乗せることです』というのである。この言葉ちょっと考えるとおかしい。笑えた。車椅子に乗るのは私だから目標を口にするなら私である。そんなこんなで雑談をしながら少し感じる痛みを我慢しながらベットサイドに座り車椅子に移った。嬉しかったのでしばらく車椅子を押してもらうことにして病室を出た。起きれない間は天井しか見ていなかったからである。
予定では今日からリバビリを病室からリハビリセンターに移動して受ける予定だったが、回復の程度が悪く、今日も病室でリハビリを受けた。まだベッドから起きる動作が出来ないのである。毎日食事の時にはベットを起こしてその後しばらくそのままで体を慣らしているのだが、両足の筋が突っ張り痛い。角度は40度くらいだろうか?足を伸ばしたままだとそれ以上は起こせない。
正午、コルセットを作るため業者の人に腰回り等採寸してもらった。
ベットサイドに腰をかけて膝を上げる訓練を受けた。膝を上げたのはほんの数回だが今の私には大変な負荷に感じた。多分痛み止めを服用していなければ出来ない動作かもしれない。病室でのリハビリの時間は午後4時以降。
リハビリの先生の介助を受けて、足の筋の痛みを我慢して、なんとかベットサイドに腰をかけた。自力では上体を起こすことが出来ない状態である。床に足をつけてみると痺れが残っているのがわかる。とても変な感触がする。素足で床に接しているのに靴を履いているような、ガムテープを貼っているような、うまく表現出来ないが、今まで身に付いている感覚と明らかに違う。腰をかけていた時間は僅かな間である。その間腰回は硬直状態でカチカチに力が入っていた。
食事は全て串刺しにしてもらっている。上半身を少しは起こすがそれでも仰向けになったままで串を口に運び食べるような感じ。術後初めは消化の良いお粥だったが寝たままスプーンですくって口元に運び食べたのを思い出す。それを思うと個体だからまだ食べやすい。
早速病室でリハビリを受けた。心配していた足先の感覚は不十分だがいくらか戻っていたのでとりあえず安心。しかしベットを起こそうとすると足の筋が張って痛くて座位ができない。一週間位横になったままだったが、起きることが出来なくなっている。これには驚いた。咳き込んだせいで神経をかなり傷めてしまったようだ。
手術後痛み止めがよく効いていたので痛み止めを貰わなくても良いかなと思ったが間違いだった。効果が切れる前になると激しい痛みに襲われのたうち回った。看護師からは我慢せずに呼んでくださいと言われてしまった。我慢していたわけではなく痛み止めが効いていて楽だったのでつい痛みの事を忘れていたのである。薬の効果が無くなり始めると痛みの度合いが予想よりも早く来たのでのたうち回るはめになった。
手術日の朝。午前5時半に手術に備えて抗生剤の点滴を始めた。ふと自分の足が昨晩寝た時と同じことに気がついた。足を組んで寝たが気づいた時そのままの状態だったので、足を戻そうとした。次の瞬間、足が動かないことに気がついた。感覚もほとんど無くなっていた。自分の足が全く動かないという体験は恐怖と不安を感じた。まさしく下半身不随。一晩のうちにも症状は悪化している。いつもは考えることがない人間の神秘を身を以て感じていた。手術前に執刀医から簡単な説明を受けたが、術後完全には元に戻らないしどの程度回復するかも今の時点では言えないと説明を受けた。この時は弱気になり言われたとおり車椅子生活が頭をよぎった。午前7時過ぎ手術衣に着替え、血液の凝固を防ぐために?締め付けのきついストッキングを着けてもらう。ベッドからストレッチャーに移されるときは数人の看護師に抱えられて移った。自分では下半身が動かないのでどうにもならない。手術室に入ってからは麻酔のマスクを充てられるや否や意識は無くなった。全身麻酔は意識が落ちるのが早い。手術が終わって病室に戻ると正午前だった。実際の手術時間は1時間程度だったらしい。今日一日は絶対安静、ギャッジベッドの頭も上げてはいけないらしい。ずっと天井を見ていた。
あまりに腰が痛くて午後1時頃にMRI検査を受けると即緊急手術が要るとの判断だった。この時受けたMRI検査がとても辛かった。検査は仰向けになって寝なければならないのだが、仰向けになるとすごく痛みを感じる。検査の30分間が非常に長く感じた。
食事をしていなければ夕方からの手術を検討されたが、食事を採っていたため翌朝一番の手術になった。夕食は常時の半分に制限され、水分も午後9時以降摂取禁止。
緊急手術を受けなければならなくなった原因は風邪を引いて咳き込み続けた事だ。このとき既に排尿障害を引き起こしていた。下半身はほとんど動かず半身不随に近かった。排尿障害があり膀胱が張って痛くなっても排尿出来ない。不思議なものである。尿意を催す度にカテーテルを挿入し導尿をしてもらった。挿入時はまだ感覚があったのでカテーテルの挿入はものすごく痛い。なんでもそうだが、場数を多くこなしている看護師はそんなに痛くない。そのうち尿意もはっきりと分からなくなりバルンカテーテルを留置されることになった。風邪を引いたことが大事になるとは予想もしていなかった。渡されたインフォームドコンセントと表題のある紙には重症ということが書かれていた。
風邪を引いた。咳をすると腰に響くので辛い。歩行器にしがみつけば歩ける状態。病棟ではトイレに歩行器で歩いて行っても良いと許可を貰っていた。しかし、それ以外は痛みが引く迄は安静にという事だった。
朝、中腰でジーパンを履いていたときのことである。片足を上げたときバランスを失いフラッとしてケンケンをした瞬間、腰に激痛が走った。今からもう20年近く前のことだが椎間板症で入院したときの痛みだ。一日寝ていても全く痛みが和らがない。それどころか身動きすら出来ない。なんとかトイレだけは這って移動したが這う事もろくに出来ない。晩、弟に連絡をして病院に連れて行ってもらおうとしたが、激痛で立つことは厳しい。これでは車に乗ることは出来ない。仕方なく救急車を呼び病院まで搬送されるはめになった。救急車のストレッチャーってクッションが無いから硬い。それはいいのだが、搬送中も路面の突き上げと道を曲がるたびに腰に響くのを我慢していた。痛み止めを注射してもらい、帰宅してもたちまち食事に困ると思いゴールデンウイーク中だけでも入院させてもらうことにした。この時はそう思っていた。診察室を出たのが午後11時。