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2005年3月21日(月)
午前中にオプションのツアーがあり、それに参加しない人たちは午前中自由行動。Kさんとわたしは自由行動をとった。ツアーに参加する人たちは朝早く出て行ったようだ。わたしたちは午前7時過ぎに起きて7時半には朝食を済ませた。市内の散策に出かけたのは午前8時過ぎ。ツアーに参加した人たちと合流してホテルを出るのが11時。それ迄3時間弱トズールの街を散策した。歩いたのはハビブ・ブルギバ通りでトズールで一番賑わうエリアだったということは帰国後ガイドブックを読んで知った。近くにウルド・エル・ハデフ地区(メディナ)があることをそのときは知らなかったので旧市街には立ち入っていない。残念な事をした。
午前11時前にはホテルに戻り集合場所のホテルのロビーでツアーに参加した人たちが帰ってくるのを待ったが、ホテルを出発する時間を過ぎても帰ってこない!30分過ぎても帰ってこない!これは何かあったに違いない、砂漠で4WD車が故障したのかも、という憶測が飛び交った。まぁ、添乗員が付いて行っているので彼女がなんとかするだろうが、後の日程がきつくなるのは目に見えている。結局ロビーで待つこと1時間。話を聞くとあちらこちらと回って盛りだくさんになった結果遅れたようだ。過ぎ去った1時間がもったいないと感じた。
ホテルを出たのは12時頃。先ず寄ったのが昨日入園する予定だったサハラ動物園。ここではラクダにペットボトル入りのコーラ
を飲ませたり、蛇を観光客の首に巻き付けたりというアトラクションを面白おかしく行うおじさんがいた。でも、何を言っているのかは通訳がないと分からなかった。
サハラ動物園の近くのレストランで昼食をとった後、午後1時半過ぎにドゥーズに向けて出発。トズールを離れるにつれて周囲は荒野になっていく。しばらくバスで走行し
ていると地面が薄茶色で平らな大地に変わる。それが北アフリカ最大の塩湖でショット・エル・ジェリド。面積は約5,000キロ平方メートル。道路はケビリまで約96キロ直線で塩湖の上を通っている。途中トイレ休憩で道路脇の小さな土産物屋に立ち寄った。休憩中に薄茶色の湖面に降りてみた。良く乾燥していてぬかるみもしないが雨期には水がたまるようで水たまりが残っていた。もっとも中央部分は年中塩水があるのかも知れない。足下の白い結晶を舐めてみると確かにしょっぱい。休憩は15分くらいだったろうか。
塩湖を走破した後ケビリを通過すると砂漠のイメージが強くなる。岩質の荒野から砂質の荒野に変わるからだ。遅れを取り戻すためかバスはかなりのスピードで荒野を走り抜ける。行き交う車は極めて少ない。辺り一面砂で太陽の照り返しがまぶしい。
砂漠の街ドゥーズに着いたのは午後4時を過ぎていた。ツーリスティックゾーンのラクダ乗り場でバスを降りて約40分の自由時間。ツアー同行者のほとんどはラクダに乗りサハラ砂漠へ出て行った。Kさんとわたしはラクダには乗らず自分で歩いてサハラ砂漠に出た。夕方じゃなかったら砂漠の中を歩こうなんていう気にならなかったと思う。心配していた風も全くなくて結果的にはカメラを保護したのは徒労に終わったがこれで良かった。初めて見たサハラ砂漠、彼方迄広がる砂漠を目の前にしたにもかかわらず、イメージが膨らみすぎていて大きな感動はなかった。
サハラ砂漠見学後、午後5時10分、バスに乗りマトマタを目指す。砂漠で砂嵐に遭うのことを警戒してカメラを覆っていたビニール袋はバスに乗って直ぐに取り剥がした。移動の途中6:15p.m.に丘の斜面に張り付くように出来た小さな街タメズレットが見える土産物屋でトイレ休憩。店の屋根は展望台になっていて周囲が見渡せる。一面荒野である。ここになぜ集落が出来たのかと考えてしまう。
マトマタでは、午後6時40分から10分間、郊外のベルベル人の穴居住宅を見学。添乗員とガイドの話では見学料を支払っているようである。彼らには大切な生活資金の一部をなしているらしい。いったいいくら支払われているのだろうか?そこまでは聞かなかった。
泊まるホテルに着いたのは午後7時10分。夕食はクスクス料理とブリッ
ク。クスクスはサラダにするよりも今日の料理法の方がおいしかった。それにブリックも生地の中にたくさん具が詰まっていて良かった。
食後ライトアップが奇麗なホテルだったのでカメラを持ち出し壁に本体を押し付けて何枚かシャッターを切った。

クーセイラ泊

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